Columbus Blog

新発見日記。ただし発見の意味は広義・・・感想・愚痴もときどき・・・

ドイツ2022年までに全原発停止

2011.05.31 Tuesday 05:17
 こういうニュースを聞くと、日本人は優柔不断な民族という気がする。

他国で起きた原発事故なのに、ドイツは重要な事態と考え、
この結論を短期間ながら熟考のうえ、導き出した。
問題を起したわが国と言えば、原発反対のデモすら起きていない。

長時間の会議を国民に公開した上での決断というのも
「秘匿」ばかりしているわが政府と大きなちがいがある。

確かに、旧政権自民党と東電関係者が構築した原発推進体制は、
原発が設置された地域の経済活動をいまも支えている。
しかし、見方を変えれば、それだけ金をばらまいて反対者を
黙らせなければならないほど、危険なものだったということでもある。

東電のみならず、現地の既得権益を捨て去るのは難しいだろうが、
もういい加減に決断しないといけない。
このままだと、日本は、いつまでたっても、危険な旧体制を破棄できないで、
問題を先送りしてばかりいる、勇気のない国民と言うしかなくなるだろう。
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浜岡原発全原子炉全面停止へ

2011.05.06 Friday 22:02

政府は本日、静岡県の浜岡原発を全面停止するよう
中部電力に要請したことを明らかにした。
ようやく重い腰をあげたというべきか。

地元関連サイトで東日本大震災関連情報を掲載し、
先日、3/11から1ヵ月半経ったので以下のような雑感を掲載した。
4/28 雑感
上記の末尾「今後、早急にするべきことはなにか」の項目で
わたしは以下のように記した。

「浜岡原発」の停止・廃炉の断を下せない政治家は、
民主党だろうが自民党だろうが都知事だろうが、
政治家としてわたしは認めない。

少し前に点検中の3号機を7月にでも稼動するなどと聞いて
頭にきていたのだが、これでとりあえずは少し安心した。
電力確保はおそらくなんの心配も要らないと思う。

そして、本日のNEWSでは、海洋の汚染度についても
もっと広範囲で調査する、とされていた。
このことも、なぜ早くやらないのか不思議でならないことを
雑感で記した。ようやく、か。

評判が最悪な管首相だが、
あと、これで「増税」などしなければ少し認めてもいい。
復興のために増税が必要などというウソに国民はだまされてはいけない。
国債を発行すればすむことである。
いま日本はデフレだから過度ではないインフレ化が必要だ。
インフレと物価高が進みすぎれば、日銀が国債を処理すればいいだけのことだ。

ついでに言わせてもらえれば、
アメリカに今回、災害救助や原発処理で多大な世話になったといっても
日本にまったくメリットのない、デメリットだけのTPPに参加してはならない。
参加予定国のGDPの比率を見ればあきらかである。
環太平洋とは名ばかりの日本対アメリカのみの関係で終始するTPP。
平成の開国が聞いてあきれる。
TPPに参加しないことを鎖国になぞらえる、という
まったくもって表層だけのつまらない比喩にだまされてはいけない。
これは農家だけの問題ではないことを国民すべてが知らねばならない。

先の選挙で、民主党が惨敗したが、
あの大震災で世界まで震撼させた福島原発事故の直後に、
以前より原発を大推進させてきた旧政権自民党に票を入れる日本人が
外国人にはとても理解できないようである。
日本人は、過去を忘れやすい。目先の事ばかり気になるのかも知れない。

管首相も、野党時代の初心に帰って、
原発、災害対策、アメリカとの外交に立ち向かってほしいものだ。
期待はしてないけど。 

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HAPPY NEW YEAR 2011

2011.01.01 Saturday 00:00
 なにごともなく年が明けたなあ。
2011というのも数字的にはなんということもない年だなあ。
2012はマヤ暦予言で地球が破滅するらしいんだけど
1999のノストラダムスほど神秘的じゃあないし。
いつもと同じように年末ジャンボはカス等だけだったし。
今年もなんということもなく過ぎていくのかなあ。
例年1.2月はあっという間だし。
それはそれでいいけど。
ということで、みなさんよろしくお願いします。
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舌つづみに舌打ち

2010.02.01 Monday 02:46

以前に秋葉原の読み方について雑文を書いたが、
最近、もうひとつ耳障りな言葉をテレビなどでよく耳にする。

それは、「舌つづみ」という言葉である。

いつの頃からかテレビのアナウンサーが、なんとかのひとつおぼえのように、
一斉にこのように唱えだした。(局で、そう言うように指導しているのだろうか?)

それはあたかも「舌づつみ」はまちがいで、
舌が打つ鼓(つづみ)だから「舌つづみ」が正しいのである、とでも言っているようだ。

もしそんな理由だとしたら、愚か者の仕業というほかない。

確かに語源というか、舌が打つ鼓であり、漢字では舌鼓と書く。
だが、読み方は、断じて「舌つづみ」ではなく「舌づつみ」なのである。

それには、「勉強嫌い」を「勉強きらい」とは読まないのと同様の明らかな理由がある。
それを知らないで言いづらい「舌つづみ」を連呼しているのなら、滑稽の極みである。

日本語には、もともと2つの言葉が重なったときに、後ろのほうの濁音は前に移動する、
という古来からの発音形態があるのだ。

この舌づつみがその典型的な例である。(実はほかの例は思いつかないが)

このことは、どの言語学者の著作だったか、
また、小・中学校、高校時代のいつだったかは定かではないが、
国語の時間で習ったことことだけははっきりと覚えている。

このほうが格段に言いやすく、発音としては自然な流れなのだ。

これは、「連濁」という、日本語を覚えようとする外国人には理解しがたい
不規則な法則にも関連している。

(中略 全文は つれづれ道草第20段に掲載しました)

ここのところ、あまりに「舌つづみ」と言う人が増えて、またかと舌打ちするほどである。

そんななかで、何を誤解しているのか「どちらでも正しい」なんていう輩も出てきたらしい。
自分は寛大だから舌づつみも正しいことにしてやろう、なんていうところか。

あきれた話だが、言いづらくともそれが浸透していけば、
いつしか「正統派」となってしまうのかも知れない。

まてよ。
そうすると、いちばん最初、鼓がこの世に誕生した直後に、舌鼓の言葉を創り出した人は、
「したつづみ」と言っていたのかも知れない。

そうすると、わたしのほうが邪道なのか。(笑)

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総裁に石原伸晃氏は?

2008.09.04 Thursday 02:56
政治の話などこのブログでするつもりはなかった。
が、あまりにも情けない自民党を見ていてちょっとした素人の思いつきを。
最初に断っておくがわたしは無党派であり、選挙にも行かないし、
だれのファンでもない。また、複雑な派閥のことも熟知してないし興味もない。

自民党総裁はこのままでいくと麻生氏になるんだろう。
日本という国に絶対の責任を背負うべき総理でありながら
自分の都合を優先したとされる福田氏が
密約禅譲したという疑いもある麻生氏。
これよりほかに対抗馬が見つからないという状況が情けない。

若手の谷垣氏はうーーんという感じだし、中川氏などはちょっと暗いね。
なんか女性議員の名が約2名ほど出ていて、その一人は
まんざらでもなさそうだが、国民の大半はしらけているのでは?
また小泉前首相最出馬というのは、ホントに人材不足なんだねという思い。

みんな混迷の自民党をどうするかということばかり。
大切なのは日本をどうするかということと、
民主党に勝てる候補はだれかということ。
自民党総裁を選ぶには小沢氏と顔を並べて
国民がどちらを選ぶかを考えてみるといい。

小池vs小沢
谷垣vs小沢

これは最初から勝負あったといわざるを得ない。
「小池さんが自民総裁ですか。これは手ごわいですなあ」
と高笑いする小沢氏の顔が目に浮かぶ。
それでは麻生太郎vs小沢一郎 はどうか。
これもここ数年の自民党混迷のあいだに力を増した小沢氏のほうが
もはや役者が上といわざるを得ない。
小沢氏に対抗するには、派閥・実績・しがらみを乗り越えて、
そうとう思い切った候補を立てないともはや勝てないのではないだろうか。

こういう場合、小沢氏に勝てる要素(もはやイメージでいい)をもった
候補を立てるのが常道というものだ。
小沢氏に勝てる要素とはなにか?
ひとつは、若さ。老練・老獪の反対。
もうひとつは、清廉。腹黒さの反対。
もちろん知名度の高さは必要条件だ。

探してみたら一人だけ見つかった。
石原伸晃氏はどうなのだろう?
名前があがっていないのは、それなりに理由があるんだろうけど。

氏は本当に清廉なのかどうか知らないし、有能なのかどうかも不勉強で知らない。
しかし、若いしそんなイメージはある。
父親と比べて、一見ひ弱でリーダーシップもなさそうに見えるが、
総裁になったとき、慎太郎氏のあの押しの強さが
いい意味で遺伝的に発揮されるかも知れない。

自民党が来る解散総選挙で過半数を取るためには
ひとつ石原伸晃氏で、イメージ一新(可能かどうか不明だが)してみてはどうか。
民主党にとって意外な候補なら、国民にとっても斬新な候補だ。
「またか」「だれがなっても同じさ」
という国民の声を今度こそ自民党は消さねばならない。
意表を突かれた小沢氏の「これは・・・」という困惑顔も少し見えそうな。

辛勝でも勝ちさえすれば、次の総選挙に全生命を賭けている小沢氏はこれで挫折するだろう。
そして意気消沈した民主党と今度こそ連立し、管氏などの勢力を取り組むといい。

そして、ほんとうに、国民のために体を張って働く政治家の集団を再構築してほしい。
辞任するくらいなら、凶弾に当たって潔く・・・そんな覚悟あってこそ政治家だ。

石原伸晃氏にその気がないなら、もうだめだけど。
また、立候補し自民党内で票をまとめる能力もないとだめだ。
これが難しいんだろうなあ。
麻生氏が野心を捨て、国を憂い、石原氏を推薦するようなことがあれば、
わたしは麻生氏を見直し絶賛するのだが、そうはいかんか。

(上記はまったく個人的な意見です。筆者と石原伸晃氏とはなんの関係も面識もありません。また、果たして氏が国民の多くの支持を得られるかどうかはまったくわかりません)
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どっちかな?

2008.08.04 Monday 23:40
昨日、バイク散歩してたら。

人通りのほとんどない民家の路地。
何の店かわからない店頭にこんな張り紙(看板?)が。
妙な看板

やれなかった
やらなかった
どっちかな

ほんとにどっちだろう?
これはふつうに考えると、
「人はすぐやれなかったというけれど、
それはやろうとしなかった怠惰のせいで、
実はやらなかっただけなんだ」
という戒めのように思える。

しかし・・・。
それも結局は、
「能力的にやれなかった」
「やらなければといつも思っていたけど気力が続かなかった」
ということで、「やらなかった」のではなく、
やはり「やれなかった」のではないだろうか。

ほんとうに自らの意志で、
「これはやらないのだ」
という意味の「やらなかった」ということなら
なんら後悔することもないし、
「どっちかな」なんて問われる筋合いもない。
「はい、やっても意味がないし、あるいは無駄ですからやりませんでした」
と答えれば済むことだ。

この問いかけは、どうも、
「すべてのことは努力すれば必ず達成できるのに、人はそうしない」
「そして、それをやる暇がなかったなどと言い訳している」
などと言うことを暗喩しているように思える。

しかし、いろいろ長く生きてくると、
「やっぱり、やれなかったのだ」
という思いも強い。
たいして努力はしてなかったけれど、
そもそも努力するという才能がなかった、そんな気もする。
決して自らの意志で「やらなかった」というわけではない。
「能力的に達成することができなかった」のだ。

もし、別な理由があるとしたら、
「達成後の境遇はむろん欲しいが、それへの課程、つまり努力をするのがイヤだった」
=「やりたくなかった」→「やらなかった」
というあまり好ましくない意志。
これをすなわち怠惰、というのだろうか。

必ず達成できるとわかっているなら人はみな努力する。
達成できるかどうかわからないが最後まで努力し続けるのが大切。
そうかも知れない。

そうだとしたら、苦しいばかりの努力ではなく、
小出しでもいいから、楽しいことも時々もらえないとね。

そんなことを考えながら走っていたら、赤信号を素通りしそうに。
危ないなあ。

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チベットに思う

2008.03.24 Monday 01:02
まことに恐縮だが、

ダライラマ、アライグマ、クラブママ

がなんとなく似ているような・・・。
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人生カレンダー

2007.01.09 Tuesday 21:32
年齢を3で割ると人生時間になるという。
(人生時間についてはメインサイト「じぶん探訪その2 18時からの人生」で紹介)

たとえば21歳なら7。つまり午前7時、まだ朝日が登ったばかりで前途洋々である。
ちなみに正午はというと12×3=36。つまりこの場合、36歳を折り返しの年齢としていることになる。
寿命はその倍の72歳という設定になるわけだ。
40歳くらいまでの人は明るくていいが夕方5時は17×3で51歳。さすがに日暮れが近そうだ。
この人生時間は面白い考え方ではあるが、高年齢者には少々つらい。「毎日が夜」の比喩ではいかにも暗い。
そこで、あることを思いついた。

わが家はトイレにカレンダーを貼ってある。銀行なんかでくれる12カ月全部が見える縦長のやつである。
これを眺めていてふと思った。これも12進法だから・・・。
1カ月を6歳分として同様に12カ月×6=72歳として見てみたらどうか。
よく一年の計は元旦にあり、というが、新しいこれからの1年を人生に見立てて計画を立ててみるのはどうか。

これを人生カレンダーと仮に呼称してみることにする。
1月は生まれてから6歳まで。つまり小学校入学までだ。
凡人なら幼児時代は漫然と過ごしてしまうが、われわれは少し分別のついた大人。その大人の状態で6歳児になったつもりで考えるのは容易だ。
少年よ大志を抱け、とばかりに今年一年の目標を6歳まで、つまり今年1月中に立ててみよう。
そして2月。12歳までだが、ほぼこれは小学生時代に相当する。
計画を達成するためにはどうしたらいいかいろいろ勉強しよう。いまなら昔の小学生時のように余所見することなく目的に向かってまじめにやれるはずだ。
3月は中学・高校時代。18歳までの時。
春めいてきて、楽しくなる時代だ。この計画には受験などないから、マイペースで活動できる。準備から実行へ。日々充実した青春を再現できるハズだ?!
そして・・・8月は何歳になるのだろう?
42〜48歳。
8月は夏休み、青春というイメージだが、意外と高齢時がそれに該当する。
思うに夏休みとは、思い切り遊ぶというのではなく、当初の計画を悔いなく、よどみなく実行・推進していくときに充たるのだろう。
本来の人生においても、この年代でしっかりしていないと続く9月、10月(50〜60代)の実りの秋を迎えることができない。
そして、この8月を十二分に実行させるためにも、その前哨戦としての6.7月の31〜41歳は、日夜、目的に向かって邁進すべき大切な時期になる。

この人生カレンダーの概念を取り入れて、今年は1月から計画を立て、いまは何歳くらいかなと思いながら過ごしていくのも楽しい。
これなら、どんな年齢の人もゆっくりと1年かけて0歳から72歳を同様に楽しむことができる。
もちろん、当初に打ち立てた計画の成長年齢ということになるわけである。
これだと人生時間の場合の暗さとは異なる性格のものになるだろう。
もっとも人生時間も、1日を一生に見立てて朝7時は21歳の気分、というふうに思えれば毎日毎日が一生を楽しむことができるかもしれないが、それぞれの時間がちょっと短すぎるね。

きょうは1月9日。ちょうど生後2歳児になったときだ。
月末までの20日間で、人生カレンダーにおける小学校入学の準備をしておけばいいことになるわけである。
さて、どうしようか。新年会を飲りながら考えるか。
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穏やかな暮れ

2005.12.31 Saturday 17:52
昨日もそうだったが今日も風がなくいい日和。
久し振りに利根川の遊歩道を散歩しに。
今年は別の場所ばかり探索していたので
すっかりここにはご無沙汰だ。
しかも最近はとても寒くて風も強く、土手沿いなど
とても散歩する気になれなかった。

晦日の利根川

上の写真は利根川。左端にどこか工場なのか煙突が見えるが
その煙がまっすぐ上に登っている。風がない証拠だ。
イヌの散歩にきている人もたくさんいた。

家から小貝川に架かる戸田井橋まで約3kmを往復すると
わたしの足でちょうど1時間の散歩になる。
ずいぶん久し振りに歩いたがペースは落ちていなかった。

帰途、自宅付近の民家で。
ひだまりのネコ

陽だまりでネコが丸まっちくなっている。
このネコ、いつもここで丸くなってるなあ。

いろいろあった割には、穏やかな年の瀬だ。
わたしの親しい人すべてに幸せな2006年を!
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道路はだれのものか?

2005.08.26 Friday 23:32
わたしの住む利根町の最東部に惣新田と加納新田という町がある。
これはちょうど南北に位置するのだが
この2つの町を訪れたときの印象がちがう。
南の加納新田には申し訳ないのだが
北の惣新田のほうがなぜか雰囲気が明るく
長閑でやさしい風が吹いているような気がする。
これに対して加納新田はどこかそっけない気がする。

どうしてなのか考えてみてあることに気づいた。

というのは・・・。
どちらの町にもその北側にメイン道路(とは言っても片側1車線)が
東西を貫通して通っているのだが、
その道路の属性のちがいがそうしたイメージを
どうもつくりあげているようなのだ。
(参考:利根町最東部マップ
属性とはただ単に加納新田のほうが県道である、というちがいだけである。
しかし、それがもたらすイメージの差はとても大きい。

加納新田は県道だけあってバス路線でもありとても往来が激しいのである。
わたしが50ccのバイクで走っていても
結構、バックミラーを見て後続の猛スピード車に注意する必要がある。

それに比べて惣新田のメイン道路は実にのんびりしている。
ネコがゆっくり横断している。
めったに地響きを立てる大型車などは通らない。
道路の真ん中を走っていてもクラクションを鳴らされることもまれだ。
ときどきトラクターがとろとろと進んでいるだけ。
当然、タヌキなど動物の轢死体は皆無である。
これなら子供たちも道路で遊べる。

ああ、これだったのだ。
忘れかけていたあの懐かしい日々。

昔は道路で遊べた。
もちろん広場もあったが、公園などとわざわざ名前をつけなくても
「自然公園」はどこにも存在していた。
自宅の前だって子供にとっては広場だったのだ。

道路とはヒトのためのものか。
それともクルマのためのものか。
そんなつまらぬことをいまさら世に問うつもりはないが、
惣新田のひろびろとしたメイン通りだけは
いつまでもそのままでいてほしいと思う。

惣新田集会所前の街並み
惣新田のメイン通り
(拡大できます)
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