Columbus Blog

新発見日記。ただし発見の意味は広義・・・感想・愚痴もときどき・・・

久々の狸囃子

2010.07.19 Monday 04:09

(久々の狸囃子というより、久々のコンテンツ更新でもある。
最近、怠惰で写真も撮ったりしていないので、
メインサイトはおろかブログまですっかりご無沙汰。
あまりにも・・・ということで)

昨夕、チョコを庭で遊ばせていると、久々に狸囃子らしき音が聞こえてきた。
以前にそれらしき音が聞こえてきたときは
深夜だろうが、音源を追いかけてみるなどと豪語していたが、
今回その可能性を考えてみるとどうもむずかしい感じだ。

第一に音は始終絶え間なく続いて聞こえてくるわけでなく、
とぎれとぎれなのである。
その方向は実際には茫洋としてつかみにくい。
また現実に、犬の面倒を家内より指令されているときに
突然、その使命を投げ出して
外にふらふらとでかけていくわけにはいかない(笑)。

縁台にすわって耳を傾けていると、
当該季節、日時、気象等といままでの経過から
以下のような推論に至った。

・南風が強い日に聞こえやすい
・音源はしたがってわが家の南の方角にある
・音源は、狸の腹鼓では無論ありえないので、現実には夏祭りもしくはその練習

具体的にいえば、利根川を挟んで川向こうの布佐地区に音源があるものと思われる。
一昨年と昨年の記憶からいえば、9月の敬老の日を中心とした日の前後に
布佐の竹内神社の祭礼が行われていて、ちょうどその時期に南風が吹くと、
「狸囃子」となって聞こえてくると考えられる。
昨夕のようなものも、それ以外の神社関係、夏祭り準備関連のものと推察できる。
ただ実際に、竹内神社以外は、狸囃子が聞こえた当日に
そうした催しが行われていたかどうかは調査していないし、調べるのは難しそうだ。

また20数年前、ここに引っ越してきた当初は狸囃子に気づかなかったが、
その理由は、もしかすると利根町役場の新設移転が関係しているかも知れない。
わたしの家の並びは天井川とまではいかないが、
利根川沿いの道路やスーパー堤防より少し陥没した低地になっている。
そのわが家から見て高地に位置する道路に、引越しして数年後に
7.8階建てのインテリジェントビルがドーンと建ったわけである。
おかげでその不遜なビルの階上からは、
自宅の庭で裸で行水などしているのが丸見えである(もちろん行水などしないが)。

わき道にそれたが、この役場の新築で風の道筋が変化したものと思われる。
布佐からの「狸囃子」の音が役場ビルを避けるように横から流れてきて
わたしの家の前あたりでいったん収束・増幅し散開していく、
そんな流れになったのかも知れない。
役場のちょうど真裏である立地が
「狸囃子」を聞きやすい状況をつくっているのではないだろうか。

以上がおおよその狸囃子の科学的根拠の推論であるが、依然として不明なことがある。
深夜の2.3時頃に聞こえてくるような狸囃子も、
果たして布佐地区の祭囃子(およびその練習)が音源といえるのであろうか?

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悪夢

2009.09.22 Tuesday 02:50
三津田信三の赫眼 (あかまなこ:光文社文庫)が刊行されさっそく読んだせいか。
2晩続けて悪夢、というより不快な夢を見た。
昨日のは・・・なんとしたか、もう忘れている。
夢はすぐ忘れてしまうなあ。
きょう、というのは、ついさきほどのことなのだが。
最近、夕飯を食べたらすぐにどうしようもなく眠くなってしまう。
とくにその日の朝が早かったときなどは、とても我慢ができなくなる。
で、なんと8時過ぎからさきほどまで眠り込んでしまった。
眼が覚めるとまだ深夜1時なのだが、それでも5時間ほど眠っていることになる。
そのときに見た夢というのは・・・。

怖い夢ではないのである。
以前勤めていた会社のそばの食事どころに昼食で入ったのだが、
なんと12時過ぎから2時まで待たされてしまったという夢である。
しかも、それだけ待っても注文した料理が届かない。
遅れて1時過ぎに来店した同じテーブルのほかの客がオーダーした品が
先に届くのを見て、こらえきれずに「もう待てない!」と
店を出ることにした。
が、もう2時になっているので、それからほかの店だと準備中に・・・
ということを思ったところで眼が覚めた。
こんな不愉快な夢は初めてである。
フロイトのように夢判断されると困るが、
夕食を食べた直後に眠ったわけだから、夢の中ではさほど
腹もすいてはいなかっただろうとも思うが・・・。

さいきんひまなのでドラクエ廃人かけていたが、そのせいか。
だけど少し飽きてきたのに、10月には女神転生が発売されるというから、
これはこれではまってしまうかも知れない。
この現実のほうが、悪夢なのかな?
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深夜の着信履歴

2008.05.11 Sunday 02:30
昨日の朝起きて、携帯を見て、驚いた。
見たことのある電話番号が午前2時前後で2回も履歴で残っている。
みるとそれは自分の携帯番号ではないか!
えっ、そんな!!!
よく見ると、少しちがっている。

たとえばわたしの番号が090-27ab-36cdだとする。
着信履歴には090-27ab-46cdとなっているのだ。
なんだ、間違い電話か思ったが、しかし、しかしだ。
これはいったいどういうことだろう?

一番ちがいの知り合いはいない。
だから、これはわたしの知らない人である。
たまたまわたしとは一番ちがいであり、
そういう人はたくさんいるだろう。

だが、その人はなぜ一番ちがいの番号へかけたのだろう?
一番ちがいの知り合いがいるというのは確率としてかなり低いだろう。
つまり、090-27ab-46cdの人の知り合いに
090-27ab-56cdという人がいて、その人にかけようとして、
まちがってわたしの090-27ab-36cdにかけてしまった。
こういうことはまず考えられない。

そうなるとこれは、090-27ab-46cdの人が
自分の携帯090-27ab-46cdへかけようとしてあやまって
わたしの番号090-27ab-36cdにかけてしまった。
このケースしか考えられない。

しかし、これでも不審である。
自分の携帯から自分の携帯に電話する、ということは
どういうことなのだろう。
ためしにやってみると・・・
当然、話し中となる。わたしがかけているのだから。
まるで無意味な行為である。

これは自分の携帯から自分の携帯に電話したらどうなるのか試してみた。
そういう理由しか考えられない。
でもほんとうにそうなのだろうか?
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香りのデジャブ

2007.02.26 Monday 11:57
あるシーンを見て、香りを思い出す。
というより実際にその匂いを感じるということがあるのだろうか。

1月の末だったか、クルマからふと外の景色を眺めたとき、
突然、デジャブのような光景が脳裏に浮かんだ。
それが不思議だったのは、ある忘れかけていた馨を伴うものだったことである。
遭遇した瞬間の景色からも、クルマの室内の状態においても、
その薫りはどこからも発していなかったのにもかかわらずなのである。
その景色と匂いとは・・・。

まだその季節ではないのだが、郷里の雪解けのころのシーン。
根雪が少し持ち上がりその下から若草が萌え出ずるとき。
そこに、雪国の冬が待ち望んでいた春の日差しが当たるとき。
そんなときに、まるで陽炎のように微かに立ちこめる独特の香り・・・。
陽と草と土が織り成す、シンフォニー。
もう何十年も忘れかけていたそんな鼻腔へのくすぐり・・・。

なぜ、いま、感じてしまったのだろう。
その景色は、雪などなにも積もってはいない、
関東のいつも見慣れた風景であるというのに。
どうして、こんな「香りのデジャブ」がわたしを襲ったのだろう?

香りといえば、先年、やはり郷里に関係することで、
ああやはり、と思うことがあった。
食い意地が張っているわたしなので、また食べ物の話になるが・・・。
それは、タラコのことである。
これを郷里では「もみじこ」と現在も呼んでいる。
ちなみに向こうでのタラコはまた別種のタラの卵に相当する。
関東に来て、ずいぶんタラコを食してきたが、
どうもなにか物足りないと感じていた。
それが久しくなにが原因なのか分からないでいたのであるが・・・。
あるとき帰郷して、近江町市場で土産を探していたとき、
突然、その香りが鼻を突いてきた。
「もみじこ」の香りである。
ああ、この匂い。
この香りが、鮮度をあらわすものなのだろう。
考えてみれば、こちらにきてから食卓で見ているタラコは、
みな少量のタラコをパック売りしているものがほとんどである。
ましてや質の悪いめんたいこなどは、
鮮度に関しては何をかいわんやというものだ。
築地などの市場に行けば、郷里で昔食べていたものと変わらぬものが
手に入るのかもしれないが、そこまでしたこともない。
樽に入れたままの新鮮な「もみじこ」は、
懐かしいあの香りをわたしに発していたのである。

好物の薫りを懐かしんでいると、
いつのまにか、あの萌え香はいずこともなく消えうせてしまっていた。
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久々に狸か?

2007.02.03 Saturday 22:27
半月以上もブログや更新をサボっていて・・・。
理由:すぐ眠くなる/根気が続かなくなった/腰が痛い、肩が痛い/いい写真が撮れていない・・・
なんてのがあるけど、ほとんどの原因は・・・久し振りに光栄の三国志修个りやってたからだ。
前のセーブデータを見ると2004年8月とある。2年半ぶりでやっているわけだ。以前は夏休みにやってたのだな。
三国志は召盪っているがこの修いちばん面白い。君子プレイだけで十分で、召覆匹慮鎚棉霈での三国志はあまり意味がなく、つまらないとわたしは思う。

というわけで、この間、わが家の愛犬チョコがすっかり回復して(もっとも骨折ギブスがとれるのはまだ少し先に延ばすことになったが)なんと1カ月前の暮れのときより2倍の体重になって元気いっぱいになったこととか・・・。
この報告や、10何年ぶりにマージャンをやったとか、明日は、サイトにアクセスしてくれた地元の人からの依頼で会うことになったとかほかにいろいろあったのだければ、みんな記すのをサボっていたわけである。
少しずつ振り返って、書いていこうかとか思うけれど・・・。

えーーと、きょう夜8:00ちょうどくらいに、祭囃子が突然、聞こえてくる。妻と、「これは狸囃子?」と耳をすませたが・・・。
きょうは2月3日の節分なので、なにかどこかで催しがあるのだろうという感じだったのだが・・・。
明確なようでもあり、とぎれとぎれにも聞こえてくるのでもしかすると思って外に出て見ると、これはやはり利根川の向こうの布佐地区のどこかの神社辺りでなにかお囃子をやっているような按配である。しかし、わずか数分程度でそれは終わってしまった。
室内着で出たせいか夜はとても寒く、音源を追って出かけて見る気にはならなかった。

しかし、こんな時期のこんな夜にお囃子などやる?しかもわずか数分だけ。
風の強い夜。寒い季節。
狸囃子のようなそうでないような。

あーー、これもコンテンツにまとめなくてはいけないのかな?


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真冬の逃げ水

2006.03.05 Sunday 19:01
昨日のチョコの散歩のとき。

なんとこんな季節なのに「逃げ水」を見た。
夏場とか暑い日だけだと思っていたのに。

これでは拙随筆の「つれづれ道草」第3段で言及したことが
まったく意味をなさなくなってしまった。

日差しさえあれば発生するわけで
季節や気温など関係なかったのだ。

写真を撮る気持ちも失せてしまった。
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単線の悲哀

2006.02.21 Tuesday 22:40
郷里では地下鉄などなく、JRに乗るときも数少ない旅行になるわけだし、
それと社会科が苦手だったのと、またいわゆるSLファンでもなかったから・・・。

いいわけばかりだけど、
要するに「単線」などという鉄道の概念を真に理解したのは
高校を卒業して上京してからだったのである。
そのときも山手線・中央線とかいうメジャーな路線ばかりで
複線・複々線という言葉だけをまず先に知ることになる。

そんな中で、最寄り駅がなんと単線の一駅である現在の住居に住むことになる。
単線というのは、田舎ののんびりした風情がある反面、
とても悲しい一面を持っている。

片側に故障が発生すると、上り下りすべてに影響がでるのだ。
したがって上り(下り)電車との交換待ちで駅で待たされることが多々ある。

そのときかねてより、不思議というか腹立たしく思うことがあった。
こういうケースである。

例えば下り電車に乗っていてある駅に着くと、
「上り電車が車両故障で遅れていますので少々停車します」
なんてことがよくある。

そしてようやく遅れていた上り電車が駅に到着する。
やれやれやっと発車かと思っていると、なんと
遅れていた上り電車のほうが先に「ピー」とドアがしまり
さっさと行ってしまう。

待ちくたびれていた「何の罪もない」下り電車のほうが、
予定発車時刻を大幅にオーバーして、
のっそりと上り電車の後で発車となるのである。

これにはなんとなく頭にくるのはわたしだけだろうか。
単線ではひとつの列車が遅れると同じ分、片方も遅れるわけだから、
駅に待ちぼうけを食らわされたほうから発車してほしいと思うのだ。
それがダメならせめて同時にして欲しい。

思い出してみるとなぜかいままでほとんど100%の確率で
そうだったような気がする。
それは、偶然のことではなく、もしかすると何か特別の理由があるのかも、
と思って考えてみると・・・。

下り電車が通過してきた線路は
問題なくポイント切り替えの準備もできているだろう。
しかし、いまやっと遅れてやってきた上り電車の通ってきた線路、
つまりこれからわたしが進む下り電車の通るべき線路は、
これからポイント切り替えをし、安全確認しなければならないだろう。
その分、発車が遅くなってしまうのではないか。

われながら見事な推理だ。そうだったのか!
そんな思いで、昨日、まさに駅で遅れた電車を待っていた。
今回もこちらが後で発車となるんだろうなあと思って。
すると・・・。

えっ?

「お待たせしました。遅れていた電車が到着しましたので、
この電車、すぐに発車いたします」

おいおい、なんだ、どっちもありかよ。
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戦国時代へワープ

2006.01.09 Monday 23:58
とくに時代劇が好きなのではないのだけど。
正月2日は迷ったあげくやはり12chの恒例10時間時代劇を見た。
(前は12時間だったのにいつから変わった?)
迷ったと言うのは裏番組で南総里見八犬伝があったからだが
それはSFであることと3時間程度だからやめにしたのだ。
でも八犬伝は2日連続と聞いて再度、迷ったが結局10時間のほうを選んだ。
今回は忠臣蔵などのように情に訴えかける内容のものではなかったので
その分、体力がもったのかそれほどの疲労は感じなかった。
涙腺が弱くなっているので、泪がでるものは消耗するからなのである。
さらに翌日も、前半見なかった八犬伝を見た。
若い世代のキャスティングで、しかもSFだし、ちゃちなものかと思ったが
意外と抵抗なく、面白く見られた。
またきょうも武田信玄の軍師だった山本勘助を主人公とする番組があって
それも見た。

何かつづくなあ、正月だからかなと思ったが、
いまシミュレーションゲームで「信長の野望」をやってたりする。
これも年末から、久し振りにゲームでもと思って、
まだクリアしてないドラクエとかいろいろやったのだが
みなしばらくしてすぐ飽きてしまって結局、これにたどり着いたわけだ。
決してテレビで時代劇をやっているからではないのだ。

とくに思い入れはないのだが、どうも最近、
日本の戦国時代に関連することで楽しんでいることになる。
知りあいの人のサイトでも信長の話をしていたりする。
不思議なシンクロニシティだ。
なんか意味があるのだろうか?
最近、時代・歴史小説を読んでないから読め、という天啓か?

ちなみに「信長の野望」は最新作では(おそらく)なく、
烈風伝のパワーアップキット(PS版)である。
これは秀作と評判がいいようだ。
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狸囃子もどき

2005.08.03 Wednesday 23:37
先日の布川神社大祭の初日の夕刻。
妻が、ちょっととわたしの手を引っ張る。
トイレに連れていかれ、
「ねえ、あれ、狸囃子じゃない?」

実は、その少し前にトイレに入っていたわたしは
先刻そのことを承知していたのだ。
(ちなみに、わたしの家は狸囃子がきこえる。その場所がトイレなのだ・・・この詳細はこちらで)

しかし、やはり、前に聞いたものと比べてまだまだ鮮明さに欠ける。
しかも深夜ではない夕刻時分だし、さらにその日は大祭。
聞こえてもまったく不思議はないのだ。
「狸囃子ではないホンモノのお囃子」が、という意味で。

妻もそれが分っているから
幽けき一縷の可能性と思ってはみても
わたしに確認してみたのだろう。

ただ、そうでないものを、そうだというわけにはいかない。

「あれは大祭のお囃子の音だよ」
と言いながら、それでも2人で、玄関へ。

ところが・・・。
外に出て見ると、その音はまったく聞こえないのだ。
宵闇迫る空を眺めて耳を済ますがくだんの音はピタリと止んでいる。

演奏がたまたまそのとき休止したのか?
と家の中に戻り、またトイレで耳を澄ますと・・・

聞こえてくる。

「ねっ?」
と、妻に言われても、やはりこれではまだ以前とはちがう。

ただ、偶然にしろ外に出たときに聞こえないのは不思議ではある。
また、家の外に出て音が掻き消えてしまうのなら
音源を追いかけることなんてできないなあ、とも思う。

このこととよく似た体験を、その翌々日、
大祭最終日の日曜の夜にすることになる。
神社の裏手の小学校校庭のほうから屋台の競演を見に行ったときのことだ。

最初、小学校の校門前までは何も聞こえてこない。
まだ何も催事が始まっていないのかと疑ったくらい静かである。
ところが校庭に入ったとたんに大きなお囃子の音が聞こえてきた。
このギャップ。
音のグラデーションではなく、これはまさしく音の断層だ。
こんなにもちがうのか。

狸囃子の追体験ではなかったが、その科学的解明のヒントを
少し掴んだような気がした。

(ただし、以上の話は「狸囃子について」に記すほどでもなかろう)
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だまし絵

2005.07.21 Thursday 22:52
昨夜というか本日未明に「脳が認識する幽霊」と題するとても面白い記事を見た。
人間の視覚的な錯誤、つまり錯視による「気持ちが悪くなったほど素晴らしい」芸術作品の紹介である。
こういうテーマはわたしの大好物なのである。

これに関連して幽霊ならぬ「だまし絵」を・・・以下はいったいだれの作(著作権も知らないのだが)か分からないが、「老婆と若い娘」と題する有名かつ不思議な絵である。
老婆と若い娘
わたしは何十年か前(年齢が分かってしまうが)にこれを初めて見たとき、どうしても「老婆」にしか見えなくて困った。
あなたはどうだろうか?
初めてこの画像を見た人は、「娘」か「老婆」かどちらかしか見えない。なぜ老婆なの?、これのどこが若い娘なんだ?のいずれかになる。
「老婆」にしか見えない人は精神的に不安なものを抱えている、などとまことしやかに言われてとても不愉快な思いをしたが・・・。

だまし絵と言えば、エッシャーが有名だ。
前に日本橋の三越でエッシャー展がありそこでけっこう安価にその作品集を手に入れた。近日中にスキャンして少し紹介したいと思うが、著作権はどうなのだろう?
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