震災ちょうど1ヵ月前後でまた余震が頻発。
一昨日はなかなか眠れずその反動で昨夜は9時過ぎから眠くなり
何十年ぶりかで半日ほど、つづけて眠ることができた。
その間、半覚醒状態のときにも、多少の小さな余震は感じていたが、
本日の起床後は、現在まで特筆するような余震が起きていない。
少なくとも3時間以上、有感地震のないこの平穏な状態は
たまらなくありがたいことに思えた。
そういえば、少し次元はちがうのだがことしの春先も・・・。
昨年冬以来、わずらっていた痔が快方に向かったとき。
痛みのない平穏な時間を、同じようにありがたいと感じた。
なにもないことを漢字で書くと「無事」という。
つまり、無事とはなにも悪いことがないということのようだ。
反対語は「有事」ということになるのだろうか。
痔もことしの冬には再発するかも知れないし
地震のほうも、1ヵ月以内にM8級がきてもおかしくない状況ともいう。
だが、いまは、ひとときの「なにもない幸せ」。
こんなことが、こんなにも大切なことだとは
思ってもみなかった。
ペットボトル改訂案
以前からこんなことを思っていました。
いまやすっかり日本人の必需品となったペットボトル。
でも、高齢者にとっては、時としてそのフタが硬く
なかなかあけづらい場合・製品などがあります。
手を傷めているお年寄りには結構、難物です。
そして、わたしのような大呑野郎にとっては口が小さすぎる気もします。
もう少しこの口が1回り、いや2回りほどおおきくならないものでしょうか。
そうするとテコの原理でフタも空けやすくなりますし、がぶがぶ注げます。
また、昔、味の素の売り上げが伸び悩んでいたとき、
中フタの穴の大きさを変えたら急に売り上げが伸びたという神話があります。
これと同様のことがペットボトルのフタの大きさの変更にもいえるのではないでしょうか。
確かにすでにラインに乗ったボトル規格サイズの変更は多少コストがかかりますが、
その分、「だぶだぶっ」とウーロン茶などもたっぷり注がれて、
味の素同様、売り上げもUPするのではないかと思います。
そして、もうひとつ。
注ぎ口の大きさを広げることは、今回の地震のときにも有効です。
断水地区の給水の時間を大幅に減らすことができるのではないかと思います。
給水車の給水口は大きくて、ペットボトルの小さな口では
そのままだと貴重な給水が漏れてムダになるばかりでなく、
一人ひとりの給油時間がとても長くなり、
寒冷地での並んで待っている人の負担をさらに大きくさせます。
ペットボトルに給水するとき漏斗を使ったりしますが、
これもすぐあふれてもらしたりして時間的にもそれほどの効果はないのです。
さて、わが利根町は、地震当日から断水となりすぐ給水が行われました。
当初、その旨、役場から放送がありましたが、わたしは
容器持参なのかどうかが指示されていなかったので、
おそらく混乱するだろうと思っていました。
すると案の定、しばらくして「容器をお持ちください」の放送がありました。
持たずに小学校まで行った人は家に逆戻りです。
翌日、2回目の給水のときからわたしの家も水をもらいにペットボトルを持参したのですが、
こんどは、逆に役場のほうで容器が用意されていました。
それが以下。
利根町役場の給水には京都市上下水道局の多大なご尽力がありました。
この場を借りてお礼申し上げます。
しかしながら、こんどはこの容器しか使用できないという放送が
事前になされませんでした。
ペットボトルなどいくつも抱えて並んでいたわたしは、
けっこう並んでいた後にそのことを知り、ちょっと憤慨しました。
その容器をもらうために、せっかくそれまで並んでいた順番はキャンセルされて
再び最後尾から並びなおさねばならない様子だったからです。
わたしはそのとき、はやくこれを終えて、
なくなるかも知れない食料品を買いにスーパーへ行こうとあせっていたのです。
この容器も京都市上下水道局から提供されたものと思いますが、
6リットル容器なのですが、これだけでも水は重いですね。
被災地の方の事を思えばなんということのない荷役かも知れませんが、
一人暮らしのお年寄りが、これを歩いて運ぶのはちょっと難儀です。
こういうケースもあるので、クルマを利用できない場合は
うまく肩からかけられるようなベルトを事前に用意しておくといいと思います。
また、容器持参の場合は、ペットボトルよりも、
入れ口の広い持ち運びしやすいポリ容器がいいと思います。
あっと、こう書いてしまうと、またポリ容器が品不足になってしまうのですね。
これからの事を記すには、ある程度、わたしのプロフィールを知らせなればなりませんね。
わたしは、茨城県北相馬郡利根町の住人で、
今回の地震では、東北地方の人たちのような悲惨な事態は免れましたが、
茨城県沖の震源地にちかいこともあって、相当の恐怖を味わったものです。
その恐怖や不安は現在も、たびたびの余震や
ちょっと次元がちがいますが、食料・ガソリン不足等々でまだまだ続いています。
わたしの体験した、数々の思いをここにのべることは、
これから起こりうるだろう東海・東京大地震への少しでも
その備えとしてお役にたてることもあるかと、あえて記すことにしました。
そう思っている矢先、たったいま富士宮で震度6強の地震が起こりました。
本日の未明少し前に(5時前)、眠れないままに体験した
それまでとはちょっと異種といっていい東京湾震源の地震。
それがいまもいやな予感を感じています。
気象庁は東北・関東大地震とは無関係、などと説明をしているようですが
もはやだれもそんなふうに楽観的には思えないのではないかと思います。
今回の東北・関東大地震にしても気象庁から事前に聞いたことはありません。
要するに大地震の予知はほとんど現状ではムリというしかありません。
このブログを書く気になったのは、以下の要因です。
1.ようやく余震が少しおさまってきたこと
2.東京都心近辺にすむ多くの友人への情報提供として
3.本日、やっと少し食料を思わぬ形で手に入れて少し安心したこと
では、東北・関東大地震勃発時のときから少しずつ記憶をたどりながら・・・。
3月11日14時46分。
そのとき、わたしは直前に買ってきたばかりの春用の花を
庭の花壇やプランターに植え終わって水を撒き、
あー腰が痛いなどと言ってたときでした。
その日は晴れて、寒いというほどではなかったのですが
強風ではないものの若干、風がありました。
そばの縁側のガラス戸がガタガタいっています。
でも、ちょっとその音が尋常ではない感じになってきました。
突風かな、へんだな。顔には何も感じないし、と思った瞬間、
ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタッ
とものすごい音で家が揺れだしました。
タテヨコナナメいずれにも揺れ動いている感じ。
直下型とかそんなことを考える余裕すらありませんでしたが、
いまから思えば、ストンと落ちたという感じはありませんでした。
ガラス戸の内側はリビングで、そこには妻とチョコ(ポメラニアン)がいます。
2階には娘がいます。
立っていられないほどの揺れ方で、
一瞬、今の状況でいちばん危険なのはだれなのだろうかと思いました。
家は、瓦屋根ではないので落下物の心配はあまりないと思いました。
液状化になるような地域ではないハズなので、
庭にいるわたしの位置がいちばん安全と思いました。
1階にいる妻とチョコがまず心配です。家がつぶれれば上よりも下が危険。
少し揺れがおさまり(といっても終始震度5程度のゆれは続行)、
家の中に飛び込みました。ドアが閉じてしまわないように開け広げたままにして。
中で、妻がチョコを抱いて、42インチのテレビをもう一方の手で押さえていました。
外へ出よう、と声をかけましたが、
妻は外のほうが危険といっているようにそのときは聞こえました。
外に出ようとしません。
とりあえず、まわりに倒れて危険なものはないと思い、
リビングを出て階段の下から娘を大声で呼びました。
返事がないので階段を駆け上がり、娘の部屋へ。
娘は床に落ちたテレビのそばで立ちすくんでいるような感じ。
階下に下りようといいましたが娘は2階のほうが安心などと。
言うことを聞きません。
とりあえず無事を確認して階下へ。
▼課題は、家族の間で、地震が起こったとき、どこが安全なのか、
認識がちがっていたことです。
こういうことは、以前から話し合って決めておくべきことでしょう。
これは、マンション住まい、都心での住まい、それぞれにおいて
また季節・時間等々いろいろな要因を含めて多様性があります。
どこがどういう場合にいちばん安全なのか、事前に考えておくべきことでしょう。
少しおさまったので、近所の様子を。
結果的にほとんどが留守だったのですが、
お隣と真向かいの家のドアをたたいて返事がないときは
もしかしてタンスの下にでもなんて思いました。
近所の奥さん1人と会い、お隣さん等の留守の確認などを話し合うとともに、
近くでお年寄りがいないかどうかを話しました。
裏通りのおばあさんが心配で見てきます、と奥さんがいうので、
問題あればすぐ呼んでくださいと話していったん家に入りました。
その間も実は立て続けに震度5クラスの余震が起きていたのです。
震源地を知りたかったけど、地震と同時に停電となり、テレビはつきません。
ああ、ラジオなどなにも用意してないことをこんなときに痛感することになります。
(のちほど低レベルなラジオを妻が見つけてきてこれが実に役に立ちました)
▼高価なものではなくても、電源を必要としない携帯ラジオ+電池がぜったい必要
すると、娘が降りてきて、東北牡鹿半島、マグニチュード8.8と
携帯画面を見ながら言います。
ああ、やっぱりいい携帯でないと何も役に立たないな。
妻とわたしの携帯は何の機能もない旧式タイプ。
▼いい携帯もあると便利
ところで、娘からこの震源を聞いたとき実は、わたしは少なからずがっかりしました。
不謹慎な話かも知れませんが、
かねてより不安だったのは何時来てもおかしくないといわれていた東京・東海大地震。
それが今回だったら、とりあえずそれをいま生き延びさえすれば、
もうおそらく死ぬまで地震の恐怖を避けることができる、などと思ったからです。
それなのに、こんなに大きな地震を初体験したというのに、その震源が牡鹿半島とは!
(この後長生きすれば、まだ東海・東京大地震の恐怖におびえることになる!)
まだ何度も揺れ続けるなかで、リビングで3人と1匹、ただ呆然としていると、
15時過ぎにまたとてつもない大きな地震が襲ってきます。
それがあとで調べてみると2回目のマグニチュード7以上の地震だったのですが、
15時15分頃、わたしたちの地域にとっては最大の揺れだった
茨城県沖を震源とする3回目の地震が襲ってきました。
以下、次号。