いちばんつらいのは肉体的な痛みなどと、昔からこらえ性のないわたしは思っていたが・・・。
一昨日の愚痴など吹き飛ばすようなことが起こりつつあるようだ。
それは、かつてないつらさをともなうもので、ようやくわたしは「痛み」より「悲しみ」のほうがつらいことを身に沁みて感じるようになった。
悲しみは、痛みより、痛い・・・のか。
いままで喪失の悲しみがまったくなかったわけではない。
とはいうもののいわゆる肉親の死別ということに関しては、わたしにはそれほどの思いはなかった。
いずれも高齢であったし、母の晩年には愛情とはほど遠い複雑な感情すら抱いていたわけだから。
しかし、もしかして・・・。
ほんとうに愛するものと離別しなければならないとわかっていたら、むしろ憎まれるようにしむけるほうがいいのではないだろうか。
愛する状態のまま残されたもの、その悲しみはとても大きい。
古今東西、無数の人たちがこの無限の哀しみを体験してきたことだろう。
なかには耐え切れない人もいただろう。
そうなる前に、いっそ偽って憎まれてしまおう。
そうすれば、残された人が悲嘆にくれなくてすむ・・・。
人間ならそんな演技ができるのかも知れないが・・・。
わが家のチョコがいよいよ危険な状態になっている。
空はこんなに晴れているというのに。