Columbus Blog

新発見日記。ただし発見の意味は広義・・・感想・愚痴もときどき・・・

碑文解読成功

2011.01.03 Monday 19:03

昨日は、寒いのにバイクで神社めぐりをしてしまった。
地元で、琴平神社、稲荷大明神、早尾天神社、諏訪神社、蛟蝄神社門の宮と奥の宮、二宮神社、布川神社のつごう8社。
でも、実は初詣ではないのである。
だいたい今年はわが家は喪中であり、そんなことは本来してはいけないわけだ。

つまり参拝することなく、撮影に出かけたわけなのだが、目的は、地域サイト掲載用のシーンハンティング。年始の神社の平常時とのちがいの確認が主だった。

結果としては大晦日・元旦の最盛期ではない2日であったためか大した人出もなく、常日頃の様子と大差がなかった。
それでも注連縄の付け替えなどの新年だけの模様替えの様子や新築・改築された社務所や瑞垣なども確認することができた。
そうしたなかで、あとで帰宅して写真整理していたときにわかったことだが、懸案だったある碑文の解明をすることができた。
それは、諏訪神社にある、「新利根川大堤修補碑」という石碑に記された碑文である。
新利根川大堤修補碑
この碑は18世紀中頃、当時水害に悩まされていたこの地区の工事を受け持った鯖江藩五万石の殿様である間部詮方の業績を記したものである。
その碑文の最後のほうの「延■二十五里」の■印の文字が判読しづらいのである。碑の拡大
利根川の堤防修理の規模を示していることは前後の文脈でわかるので、これは延べの長さが25里という意味にはちがいないのだが、どうも当該文字が「長」には見えない。
しかし、少々似ているところもあるから逆に長でいいじゃないかと安易な気分にさせられるのも困ってしまう。

それで、まず、今回手ぶれしないように慎重に撮った写真を拡大し、それを見ながらMSIMEのIMEパッドの手書きツールでなぞってみた。
認識結果の画面に、いままで見た事もない難字がいくつか示されてくるが、写真の文字に似たものでわたしが知らないものを探してみた。
すると、2つの候補があがった。
碑の拡大
である。
チツとボウと読むのだが、こういう文字は初めて見た。
漢文で見ていたかも知れないが覚えていない。意味もむろん分からない。

そこで、それに延という字を付けて熟語として成立するのか検索してみた。
前者は、ヒットしないが、後者の検索結果を見て、「これだ!」と思った。

えんぼう【延袤 の意味とは- Yahoo!辞書
大辞林 (国語辞書) 〔補説〕 「延」は横のことで東西、「袤」は縦のことで南北の意。土地の広さ。また、長さ。

ここに懸案だった碑文の解読が完了した。

話は少しさかのぼるが、実は、赤松宗旦の利根川図志にこの碑文を解説したくだりがある。
岩波文庫の利根川図志141ページの新利根川の項目にそれがあるのだが、そこには延とある。
これはまったく意味不明である。「えんこん」という言葉はどう調べても見つからない。
の字には長さとかそういう意味合いはないと思う。
これは原本となっている赤松宗旦の文献から、岩波文庫編集者もしくは印刷製版業者が文字を写しまちがえたのではないだろうかと思ったが、原本を取り寄せて確認するのは可能かどうかも含め面倒だからそのままにしておいた。

ところが後日この原本ともいうべきものが利根町史に掲載されているのを発見した。
それは、同じ赤松宗旦の「布川案内記草稿(来見寺所蔵)」というもので、そこには、利根川図志とほぼ同一の新利根川の項目が記されているのだが、宗旦直筆で全文にふりがなが付いている。
これによると件の箇所は以下のようになっている。
布川案内記
やっと判明するかと思ったが、この字はこの字でまた判読が難しい。
とはあきらかに異字であり、ともちがうのはいま見てみてもわかる。
しかし、とはほとんど同じだが、真ん中の矛の上部が少しちがう。
似ている字はいくつかあるがやはり一部はちがうし、もしその字であったとしてもこんどはどれも意味をなさない。

布川案内記にはふりがなが付けられているのでここから推理してみる。
しかしながら、このふりがながまた難物である。
いったいこれはなんと読むのだろう?「えん」の後のまさしく知りたいところのかなが読めない。
漢字も分からないし、ふりがなが付いているのに読むこともできない。
ここで、以前は挫折していたのである。
もちろんその当時はの字の存在を知らなかったわけである。

そしていま・・・どうも当該箇所は変体かなであろうことは以前から思っていた。
それに濁点がついているようだ。ただ、そうだとしてもなんとも読むことができなかった。
そこで、逆引きの考えをここでしてみる。
ひらがなの「ほ」は変体かなでは「本」を崩し書きして、以下のように記す。
変体かな
これに濁点を付けるとどうも布川案内記で付けられた振り仮名と同じ文字のように見える。
とすれば、これはまさしく「えんぼう」である。
これで、碑文の写真からの解読と宗旦のふりがなも「えんぼう」で一致した。

もしかすると赤松宗旦がこの碑を解読し、「えんぼう」と読んだかもしくは推定はしたが、字を書きまちがえたのかも知れない。おもしろいことに、宗旦自身もこの語句を難解と思ったのか、左側にナガサ(=長さ)という注釈を付けている。

いずれにせよ、当時を語る原点のものはこの碑自身である。
碑文をよく見れば、意味からいってもこれが延袤であることは確実であるとわたしは確信した。

そうなると・・・。
赤松宗旦の布川案内記草稿の当該漢字については残念ながら、著者が故人であるため問いただすことはできない。
しかし、少なくとも岩波文庫については、あきらかなまちがいであると指摘するべきと思うがいかがなものだろうか。

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コメント

諏方大明神と奥州鯖山については赤城山麓に
大正天皇即位記念に合わせ室町時代までさかのぼった大きな碑があります。
| kabasawa | 2011/01/10 9:49 PM |
kabasawaさん、
情報、ありがとうございます。
| tanupon | 2011/01/10 9:53 PM |

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