昨夜まで、地元で3年に1回、開催されるという「布川神社臨時大祭」を初めて初日から見てみた。
人口わずか2万人の町ではあるが「大祭」というだけあって近隣にない規模のもので正直、意外な気がした。
連続3日間、禊という過酷な若者の儀式や6基の華麗な山車の競演、花火の熱狂などなど・・・。
山車からの花火潜りに熱狂する若者たち
しかし、これは利根町の昔からある6つの地域にほぼ限定して行われるもので、それ以外のとくに振興団地住民には認知も乏しく参加者は皆無、その地域からの見物人も少ないのが実情である。
とはいうものの、それはある意味では仕方のないことかも知れない。
利根町全体の祭りとするためには町の財政からの支出が必要になるだろうし、その辺りで議会の承認が得られなかったのかも知れない。大祭の翌月には、恒例の利根川花火大会も控えていることだし・・・。
当該地域の人に聞くと、1軒あたり最低3000円以上の協賛金を集めるというし平均すればかなりの出費となるという。また神事である禊に参加し、神輿を担ぐにはそれなりの衣装が必要でその購入費も数万円でバカにならない。
これを新規住民に義務として背負わすのはほとんど賛同を得られずムリな話なのかも知れない。
祭りに参加はしたいが金は出さない、では道理が立たないだろう。もっともこれは当該地区の人間がそう言っているのではなく、あくまでもわたしの想像ではあるが・・・。
現実に祭りには参加はできない(この歳でなくても神輿を担ぐなんてことはわたしは到底できないし、やりたくない)が見ることを拒まれているわけではもちろんない。それどころか見物人は大歓迎という感じはある。
自分たちの晴れ姿を見て欲しい、熱狂はできるだけ多くの人の中で楽しみたいというのは当然のことであろう。
しかし、おなじ利根町というのにこの認知の低さはひどいものだ。
わたしも20年以上、ここに住んでいて初めて見たに等しいのだから。これでは他県に広く知られるなどということは未来永劫、あり得ない話だろう。
当該地域がそれでもいいというならあえて告知や広報に予算をさく必要はないだろうが、少子化ほかの理由で少しずつ祭りが弱体化していくのは避けられないだろう。できるだけたくさんの地域の枠のなかで、子供の時代からあの楽しさを体で覚えさせていかなければ一見過酷な神輿担ぎなど見るだけでやりたいという若者は増えないだろう。
それにしても夜の山車の競演や花火の火の粉の下を何度も潜り抜け熱狂する若者を見ていると、こういう祭りを結果的に絶やしてしまうのは大人の怠慢・責任だと痛感する。いろいろな障害を乗り越えてもやはり、もっと全地域に少しずつでも知らしめていく。また、わずかでも振興地域の参加を阻害する意識のある人がいるならそんな考えを改めていくべきだろう。
大祭(たいさい)を小祭(ちいさい)にしないために。
わたしの
地域紹介がそのほんの一助にでもなるなら光栄である。
ところで、いつか町の予算がとれればいいのだが、そうすると町長の祝辞などのよけいな儀式が増えるだろうなあ。住民の血税を出すことになるわけだからそれはそれで仕方ないことかも知れないが・・・。